元在籍生の声

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東北大学 片平キャンパス

東北大学 M.N.さん

 高校1年生のとき、オペラを聴いて、感動のあまり鳥肌がたったことがあります。 まさか勉強を通してそんな感動が味わえようとは夢にも思いませんでした。勉強より  何よりスポーツの方が好きでしたから。 そんな私が勉強を楽しめるようになったのは先生と出会ってからです。以下は私の体験記です。
 先生の英語の授業は一貫していました。ひたすら口頭語訳です。授業までに適切な 訳を考えるのに悪戦苦闘しました。読書不足のためか、うまく日本語にできないの です。日本語力のなさに気付かされました。小説を読むときも言葉の言い回しに敏感 になったのはこの頃からだったと思います。また、ただ訳すだけでなく、内容を考える ことによって文章を味わうことも教わりました。
 授業では、日本の文豪から西洋の哲学者、歴史上の人物、古今東西の著名人たちが 世間話を聞いている感覚で出てくるので、彼らをこれほど身近に感じたこともありま せんでした。逸話が満載だったので教科書の中の人物が三次元世界に現れたようでし た。それで自然と興味が湧きました。作家、思想家たちが何を考え、何に苦悩し、何 を伝えたかったのか、結果としてどんな生涯を送ったのか。授業の直後はむしょうに 本を読みたくなり、わくわくしながら資料集を引きたくなりました。絵画や音楽などにも興味をもつようになりました。
 授業前には、わからないこと、理解できないことが恥ずかしくて緊張したこともあり ましたが、先生が難しいものをかみくだき、たとえなどを使って私が理解するまで待ってくれたので、自分のペースでいけました。本を読んで少しずつその良さがわかるようになったのは感動ものでした。
 モンテーニュは『エセー』の中で次のように言っています。

 教師が生徒の力にあわせるためにどこまで調子を下げねば ならぬのかを判断するのはよいことです。その釣り合いを選 び出し、それに程よく調子を合わせてゆけるというのは、も っとも難しい仕事の一つです。私は下りより上りのほうが楽 にしっかりと歩けます。
   (モンテーニュ『エセー』 原次郎訳、岩波文庫より)

 大学入学後この文に出会った時、先生は私の所まで下ってきて、導いてくれたのだと思いました。

2006年5月27日(土)のメールのやりとり

 青木: 原稿ありがとう。オペラのこと初めて知りました。
今が一番いい季節でしょうね。 
 M.N.さん: 写真は今年の春の片平キャンパスです。
お昼休みに魔笛を鑑賞しました。主人公以外のキャラクターが愛嬌あって好きです。女王の怒りのシーンも見物です。



 

滋賀医科大学 S.T.さん

 青木先生との授業、というよりは青木先生からの助言とした方が適切かもしれませんが、先生のおかげで私は志望大学に合格しました。そういうわけで、「先生の授業は間違いなし!!」です。よって、勉強に関する細かな話は泣く泣く割愛させてもらいます。
先生は私に“知る”ことの素晴らしさを教えてくれました。さらに、ただ純粋に学ぶこと、自然を愛でること、湧き出る好奇心にフタをしないこと、など挙げたらキリがないほどの生きる喜びを教わりました。それが受験という一大イベントに還元され、真摯に勉強に取り組むことができ、結果として合格したのだと思います。今風に言うなら、モチベーションを上げてもらった、という所ですね。
最後に、先生がおっしゃった忘れられない台詞を一つ。
「私は仙人になるために生きています…。」
いやいや、先生。あなたもう充分、神ですから。

青木より
 戯れに、自分を久米の仙人ベータ判と仮定しておきます。
モーツアルトのクラリネット協奏曲K.622が身に沁みる境地に
なると、再びざらざらした地上に落下します。
 「ユーカラ」を読んでいると海がatuyと表記されていました。
沖縄ではinagaという方言もあるようです。日本語も多様です。
 かつて古文の勉強中、古今集仮名序の植物のイメージ
による紀貫之の文にいたく感動していたことが想い起こされます。
そういうことに感動する心をいつまでも持ち続けてください。
 勉強の理想の姿は、「ユリイカ !」と叫んだアルキメデスに
あるように思います。